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あひるの日記

あひるの日記

礼拝のメッセージ2004/2月分

2/15(日)のメッセージ

マタイ16:18~20<主イエスの仕事>

イエス様の公生涯で、された2つの働きは、次の2つ。
1.人間の罪をあがない、私たちを罪の束縛から解放した。
2.教会を建てる

教会は、建物(教会堂)ではなく、私たち自身。
イエス様は、3年半、弟子たちと共に生活し、教会の働きにふさわしくなるように訓練し変えられた。
私たちは、イエス様を信じた時点で、もう一つの助け主である聖霊が送られており、召された場所で祈り始める時、神様がその祈りに対して向き合って下さる。
私たちは、教会の一部として整えられ、人々に福音を伝えるため、神様が本来据えようとしておられる所に据えられる。そして、私たちには神様の計画があるから、日常生活の些細な問題に捕われて終わるものではない。
(世の光・地の塩として神様の栄光を表すため)
主の愛に答える生き方をしていくことで、神様の働きがその人を通して表される。

2/22(日)のメッセージ
テーマ <神様は本当にあなたを愛している>
ルカ15:11~32
この箇所は、聖書では「放蕩息子」のたとえ話として有名である。
父親は神様ご自身を象徴している。
この箇所で登場する2種類のタイプの息子は、父親から愛されていたが、そのことに気付いていないことが問題である。

弟は、父親から財産を生前分与で受け取ると、父親の戒めを守らずに町に出かけて湯水のようにお金を使い果たし、豚飼いというどん底まで落ちぶれて我に帰った。
このことから、神様は私たちを愛し、信頼するから、恵みと賜物を与えられるが、私たちは神様を離れて与えられたものを正しく用いることが出来ないのである。

弟は我に帰って、神様に対して罪を犯し、父親に対して罪を犯し、子と言われる資格はない、奴隷のなってもかまわないと父親に言おうと覚悟した。
けれども、父親は1日として息子のことを忘れることがなく、ただ帰ってくるのを祈り待ち続けた。
そして、父親はこの息子に一番よい上着を着せて靴を履かせ、息子として迎え入れ、手に指輪(当時はクレジットカードのような機能を果たしていた)を与えることで、息子に対して信頼を置き、肥えた子牛をほふって祝宴を開いた。
ここでは、私たちの神様との関係の回復について象徴している。
私たちは身勝手に生きているが、神様は決して「自業自得だ!」と見捨てるのではなく、すべてのことを益と変えてくださるお方である。
そして神様から離れていた私たちを子供として新しい関係を築いていきたいと願っておられる。
兄が放蕩息子に対する祝宴を開いたことを怒ったのは正常かもしれない。
けど、兄は父親に忠実に戒めを守って父親と共に働いてきたが、果たして父親の愛情を感じていただろうか?
神様にとって、私たちの問題は問題ではない!
私たちが神様の愛を受け取って感じ、とどまっているかが神様にとって問題でとしていることである。
あなたは神様の愛にとどまって、この世に遣わされているでしょうか?
神様の愛にとどまっていれば、恐れや不安、迷いに振り回されることがない。

2/29(日)のメッセージ
マタイ7:21~27 父の御心を行なう者
天国に行く前に、私たちすべての人間は、神様の前に立って、最後の審判をうけることになるが、父の御心を行なう者だけが、天国に入れるのである。
私たちは、イエス様を信じて救われてから、父の御心を行なうための人生が与えられているのである。
この箇所では、2種類の人が出てくる。
共通点は、私(神様)の言葉を聞いた人たちであり、家を建てていたこと。
違いは、みことばという真理を聞いて実行するかどうかから始まる。
この真理を実行するためには、私たちの決意が必要で、決意した者に対して、神様は真理を行なうよう導かれる。
また、神様の真理をどれだけ信頼しているか?によって、私たちが立て上げていく人生の土台が変わってくる。
今何とかやっていける状況で満足する生き方を捨てて、神様からの尽きない愛と恵みを体験してきましょう。


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